2017/06/23: 武蔵御嶽山お礼参り;木瓜爺撮歩49-14 長尾平  (No.3084)

長尾平というのは、御嶽山から奧の院やロックガーデンに行く途中にある、横に飛び出した尾根です。

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これが、「長尾平分岐」の写真。今一人が下ろうとしている道が、ロックガーデンの一番下部にある「七代の滝」に行く道。右に行くと、「奧の院」か「芥場峠」に行くかの分岐点に行きます。「芥場峠」というのは、「大岳山」への登り口とも云える峠です。そして、左が「長尾平」への道。

この分岐点には、あまり目立たないのですが、「長谷川恒男の碑」というのが立っています。

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この方は、登山の先達とも云えそうな先輩。世界の数々の山に登られた方です。

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こういう方でも、登攀の前の葛藤があるのですね。遊歩道にような登山道しか歩いていない木瓜爺には、完全には理解出来ませんが、手術をする前の患者の気持ちに似ているのかな?

この分岐には、小さな茶店があり、店主は代替わりはしていますが、ちょっとコーヒーなどを飲まして貰えました。此の日は、開店していなかったのですが、店の前で、バーナーで湯を沸かして、自前のコーヒーを飲もうとされているらしい方がおられました。ここには、水源はないのですが、芥場峠の少し手前、ロックガーデンの一番奥の所に、だれでも汲める水源があります。そういう水を汲んで戻ってこられたのかも知れません。

m49-14-01 長尾平DFN_1158

長尾平への道は、ほぼ平坦。ときどき、下り段があるくらいです。椅子とテーブルが見えますね。あの前あたりに、公共トイレがあります。この手洗い場で、バーベキュウの油皿などを洗うのがいたりして、張り紙されていたこともありました。そのちょっと先に、救急ヘリのヘリポートがあります。

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この平坦部なのですが、表示が分からないので、案内板が建ててありました。

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この広場は、西南と東の展望があります。真ん中奧が「大岳山」ですね。手前がとうとう登ることの無かった「高岩山」。

m49-14-04 長尾平大岳山方面DFN_1164

m49-14-05 長尾平日の出山DFN_1163

東の方が「貧乏山(日の出山)」です。『貧乏山 御嶽山の東二十町許を隔ててあり高さ一里余にして雑木繁茂する山なるにより 山下一鳥居の辺にては この山にさいきられて御嶽の山をのそむことあたはす 故に里人あしさまに云しとしてかく呼へり』 ここでいう「一の鳥居」が、どこに有ったのか、判然としませんが、現在の御岳橋のあたりから考えると、ややえん罪気味。日の出山の北尾根の張り出しが目の前を塞ぐ状態です。ただ、羽村の浅間岳あたりから、武蔵御嶽山を見ようとしますと、日の出山が完全に御嶽山を隠しています。標高902mの山ですから、標高929mの御嶽山前に立ちふさがると、後ろは見えませんね。

m49-14-06 長尾平 奧の院DFN_1168

「奧の院」のほうを見ています。この奧の院は、羽村方面からでも見えるのです。標高は1000mを少し越えて居ます。左に続く尾根が「鍋割山」といいますがここが1080mだったと記憶しています。

スミマセン・・いつも見ている地図が、目下かくれんぼ中でして・・・

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木の茂った所を通り抜けて、尾根の突端まで来ました。休憩舎が作られています。ここで、よく昼飯を食べたものです。最後の記念写真を写しておくか・・・だれもいないので(此の日は三脚を持っていませんでした)四阿の囲を利用してセルフタイマー使用・・・逆光ですが、何とか写せました。

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十二時を過ぎました。お腹も空いたので、蕎麦屋に寄ります。ただし、来るとき見たら、お気に入りの店は、休みだったようですので、神代欅の見えるお店のほうに入ります。あそこは、暖かい汁のある蕎麦の方が無難だったな・・

振り返って、景色の見納めです・・・ここは、桜や紅葉のときに寄る事が多かったので、この時期の景色は、余り見ていないかも知れません。

m49-14-08 長尾平DFN_1172

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2017/06/22: 御岳山お礼参り;木瓜爺撮歩49-13-2 皇孫社の猪 (No.3083)

m49-13-51DFN_1131「大口真神社」の横から、奧の院を見ています。「日本武尊」を祀る奧宮は、ここから見ると、ちょっと白く見えている岩の上部でしょうか? 記憶では、山頂直下にあったと思いますが・・

この山、「新編武蔵風土記稿」では、「甲龍山」と呼ばれて居ます。『甲龍山 御嶽山の西の方にあり 則日本武尊の武器を藏め給ふ處なりと云傳へり』となっていまして、さらに『奥院 本社より西の方十八町余を隔て、甲龍山の中腹に特立せる岩盤ににあり 是を岩倉と唱へり 社地の内凡十五六歩 小社にて前に二間に九尺の拝殿を立 祭神は伊弉諾尊 火産■二座なり 神体は圓径八寸許の鎧にして右手に剣を擁し左手を■上に置く(後略)』 ■は目の調子が悪くて読めません。読めたら埋め込みます。

実はもう一つあるのです。

『奧之奥院 奥院の後背なる絶頂にあり 社地凡二十坪許 石の小祠にて銅扉なり 大天狗小天狗桜坊の三座をあはせ祀れりといふ』確かに山頂の平坦部の石祠が並んでいます。

遙か彼方の山頂のことを思い出しながら、隅っこでパイプで一服。このタバコが、木瓜爺の腹の中のエイリアンを元気づけてしまうらしいのですが・・・

境内社に、もう一つ逢いたい奴がいました。そこに行きます。

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ここは、「瓊々杵尊」を祀る「皇孫社」です。この社殿は、「東照宮」のリユースだったかな?

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 このコンビがお目当ての「狛猪」です。「長い間、楽しませてくれて、ありがとう。元気で暮らせよ」。

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本社殿の前に戻って来ました。下ります。そうそう、正面に見えている「日の出山」ですが、「新編武蔵風土記稿」では、可哀相に「貧乏山」なのです。何故かは、明日書きましょう。m49-13-56DFN_1155

下り始めた時は、早くお蕎麦屋に行きたいと思っていたのですが、途中で気が変わりました。「長尾平」のトイレにも挨拶して行こう・・・変な所に義理を感じています。

2017/06/21: お礼参り;木瓜爺撮歩49-13-1 武蔵御岳山の大口真神社 (No.3082)

御嶽神社の玉垣の中に入ります。「触拝所」というのが出来て居ました。太い柱がありますが、酉年祭礼の時期に、神殿の中に置かれた「蔵王大権現」と紐でつながっていて、あの柱に触れると、間接的に「蔵王大権現」に触れてお願いが出来るという仕掛けでした。木瓜爺が、「山寺」に出かけた時、薬師如来が持つ紐が拝殿まで引っ張ってあったことを書きましたが、それと同じ方法ですね。

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この玉垣の中には、沢山の境内社があり、其の全てを、「木瓜爺ブログ」で書いておりますので、今回は、特に仲良く(?)させていただいたところ、説明不足だった所にお詣りすることにします。

m49-13-37DFN_1113 夏場はちょっと見えなくなる「ヤマイヌ」君です。初期に奉納されたものではないかと思うのですが、今はここで隠居狛犬になっているようです。「今日がお別れになると思うけど、いたずらされないで、長生きしろよ」などと、声を掛けても、尻尾もふりません。

木瓜爺、「常磐堅磐社(ときわかしわしゃ)」に寄ります。この社殿は、古い御嶽神社の社殿のリユースなのだそうです。

祀られているのが、全国の「一ノ宮」の神様方だそうです。建立が元禄年間といいますから、例えば武蔵国一ノ宮は、小野神社ではなく、もう埼玉の氷川神社になっているかもしれませんね。

「全国一ノ宮参拝会」などという会もあるようですが、こちらを拝めば一回で済みます。

一ノ宮ってどんな神社か? 現代版ですと、だいぶ怪しくなりますが、「大和国:大神神社」「駿河国:富士山本宮浅間大社」「伊豆国:三嶋大社」というように 一つのところもあれば、「信濃国:諏訪大社上社 諏訪大社下社」のように複数になっているところもあります。四社くらい並んでいるところもあります。「全国一宮一覧」で検索すれば一覧表が見つかるでしょう。

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ご覧ように、中形の立派な神殿です。狛犬も少し小形になっています。

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上の社殿の写真で、左奥に見えているのが「大口真神社」です。

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こちらは、塗りのない白木の社殿。

『日本武尊が東征の際、この御岳山から西北に進もうとされたとき、
深山の邪神が大きな白鹿と化して道を塞いだ。尊は山蒜(やまびる=野蒜)で大鹿を退治したが、そのとき山谷鳴動して雲霧が発生し、道に迷われてしまう。
そこへ、忽然と白狼が現れ、西北へ尊の軍を導いた。
尊は白狼に、大口真神としてこの御岳山に留まり、すべての魔物を
退治せよと仰せられた。』
というのが、いわれとなっています。ですから、白い狼が祭神です。御岳山で「登山守り」を頂くと、狼の焼き印を押した木の板が付いてます。御嶽神社で頂く災難よけ系統の御札も、このヤマイヌの繪ですね。

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「蔵王権現」に「ヤマイヌ」というのは、この神社は、山岳信仰の色合いが非常に濃いということを表してもいるのです。

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こちらの、神殿は、扉が頑丈そうです。丈夫そうな鍵がかかっていました。神体がわりに、二匹の狛山犬君たちと、対話する木瓜爺・・・他人が見ていると、呆けた爺様にみえるでしょう。ヤマイヌ君も名残を惜しんでくれたようです。表情が少し違って写りました。

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この「大口真神社」の横に、「日本武尊」を祀っている「奧の院」の遙拝所だあります。

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ちょっと写真の数が気になりますので、今日はここまでにしておきます。

2017/06/20: お礼参り;木瓜爺撮歩49-12-3 武蔵御嶽神社〔3〕  (No.3081)

この「続・木瓜爺ブログ」を開設する前が、「木瓜爺ブログ」、その前が「Choi-Boke爺ちゃんのブロク」でした。続木瓜爺の今日のブログタイトルの最後に(No.3081)と書いて有りますね。これは筆者の心覚えのような番号なのですが、メインとして書いたブログのシリアルナンバーなのです。一昨日、「Choi-Boke爺ちゃんのブロク」を読みなおしていて、気が付いたことがあります。Choi-Boke爺ちゃんのブロクの頃には、まだシリアルナンバーは付けていませんでした。 2010/10/31のChoi-Boke爺ちゃんのブロクは、No.662 に相当するのですが、此の日から、ブログの連日投稿が始まっています。従って、今日の番号 3081-662=2419 となります。ということは、2420日連投中らしい・・・所が、木瓜爺ブログの時代に何を勘違いしたのか、間違えて2982が2300日目だという意味のことを書いています。多分、シリアルナンバーを振っていなかったChoi-Boke爺ちゃんのブロク2010/10/31 を間違えて682とカウントしたのでしょう。  

ついに、病に捕まった木瓜爺は、連投があやしくなってきました。 オマケに、書いていて疲れてしまい、全部一気に書けないので、こまぎれ投稿になっています。今までは「健康の証し」だったのですが、これからは「まだ生きているよ」のお知らせにレベルダウンです。見苦しくならないうちに止めた方がよいのかも。

さて、「武蔵御嶽神社」の続きです。最後の石段を上がると左右に大きな狛犬がならんでいます、正面には、神殿。途中右手に宝物殿もありました。まず、宝物殿の写真を入れましょう。

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宝物殿の前の像は、「畠山重忠」。北村西望という方の作品で、昭和56年だったかに建てられました。畠山重忠は1164(長寛2)年、武蔵国男衾郡(おぶすまごおり)畠山荘(現在の埼玉県深谷市畠山)に生まれです。最初は源頼朝の敵方だったのですが、臣下となり、鎌倉幕府に尽くします。このあたりは彼の勢力範囲になっていました。鎌倉幕府が執権北条氏に握られるようになると、反北条勢力として淘汰されてしまいました。

なぜ、ここに石像があるかと云いますと、この宝物殿に納められている国宝「赤糸威鎧 兜・大袖付」が、重忠の奉納したものだからです。

神殿前に到着。

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「新編武蔵風土記稿」を出すまでもないと思いますので、右の方にある掲示版を載せましょう。

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「社伝によれば、創建は大十代崇神天皇七年と伝えられ、第十二代景行天皇の御代日本武尊御東征のみぎり、難を白狼の先導によって逃れられたといわれ、古くより関東の霊山として信仰されて参りました。

平安時代の延喜式 神名帳には、大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)と して記されております。

山岳信仰の興隆とともに、中世関東の修験の一大中心として、鎌倉の有力 な武将たちの信仰を集め、御嶽権現の名で厄除、延命、長寿、子孫繁栄を願う多くの人たちの参拝によって栄えました。

天正十八年徳川家康公が関東に封ぜられますと、朱印値三十石を寄進され 、慶長十一年大久保石見守長安を普請奉行として社殿を改築、南向きだった 社殿を江戸城守護のため東向きに改めました。人々の社寺詣が盛んになると ともに、御嶽詣も、武蔵・相模を中心に関東一円に広がり、講も組織され、現在に及んでおります。

明治維新により、御嶽神社の社号となり、更に昭和二十七年武蔵御嶽神社 と改めました。」

祭神は、「櫛真智命」「大己貴命」「少彦名命」 奧宮「日本武尊」 御眷属「大口真神」 と書かれています。だいぶ、すっきりさせたようです。以前は「安閑天皇」などが紛れ込んでいました。

m49-12-29 御嶽神社DFN_1107 「長い間、ありがとうございました。今日はお守りを頂いて参ります。もし、命長らえることが出来ましたら、またお詣りに来たいとは、思いますが・・・・」

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横で、「蔵王権現」も「人間は、あわれじゃのう」。

そうそう。狛犬君にもちゃんと挨拶しておこう。

石段を上がって行った時に左にいるのを、左方に配置しておきます。後ろに社務所が見えます。右は、幟と宝物殿の屋根が写っています。

耳が違うのです。左は立った耳。右は寝ています。これも、北村西望の作品「神狗」。

「武蔵御嶽神社」の狛犬は狼である、などとしゃしゃあと書いているブログや案内記事を時々見かけますが、この「耳」から考えると、雑種の犬でしょうねえ? 横から見ますと、獅子型の毛並みを見せてくれます。


 

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お詣りの終わった木瓜爺、社務所に行き、「たしか、癌封じのお守りがあったと思うのですが・・」と尋ねると、「あそこにありますよ」と指さしてくれました。人工革の袋に入れるお守りは、自然石。癌→岩→小石と変じたのか、川で拾うようななめらかな肌の小石に「癌封じ」とペイントされています。 


 

明日は「玉垣内にある境内社」のなかで、特に親しく(?)していただいた社をまわります。「大口真神社」がメインです。


2017/06/19: お礼参り;木瓜爺撮歩49-12-2 武蔵御嶽神社〔2〕 (No.3080)

このブログを見て頂いている頃、木瓜爺は病院におります。検査結果を説明され、治療方法などの説明があるのでしょう。処置無しだから、覚悟しなさい、と云われているかも知れません。それはそれとして、お礼参りの続きです。

「御嶽神社」の「手水舎」で、お清めをしまして、石段をあがります。ちょっと上がった所に、境内末社の一つ「疱瘡社」があります。木瓜爺は「天然痘」などを流行らせる神様をなだめるために「悪神」を祀ったものと解釈することが多いのですが、この「疱瘡社」は、ちょっと違うようです。

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「山末大主神(やますえのおおぬしのかみ)」という祭神で、どうも「大山咋尊」に御岳山内に疫病が入らぬようにお願いしたらしいです。「牛頭天王」などと同じような信仰かもしれません。

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ここに、「大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)」の碑がありました。この神社名も例の「延喜式神名帳」にある名前なのです。これも、候補がいくつかありまして、嘗ては、この「武蔵御嶽神社」が「大麻止乃豆乃天神社」を名乗った時代(明治の初めの頃)もあったようです。現在では、稲城にある「大麻止乃豆乃天神社」に名を譲った形です。

稲城の大丸というところに、「大麻止ノ津」または、「大真門の津」という船着き場があったので、その方が自然な感じというところでしょうか。

「御嶽神社」の「随神門」をくぐります。この右大臣・左大臣にも、長い間付き合ってもらいました。ご挨拶しておきます。 

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 m49-12-19DFN_1097随神門をくぐってからは、長 い石段です。途中に末社や講の奉納した石碑が並びます。自分の町の名前が出て来ないかなどと見回しながら、ゆっくり登ります。

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右側にこの「三柱社」がある場所の左側に、「長尾平」や「ロックガーデン」方面への分岐があります。

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「三柱社」というのは、ここに、三柱の神を並べて祀りましたという程度の名前でしょう。

時々休みながら石段を上っていますが、木瓜爺絶好調ですと、60段位は休まず登れるのですが、此の日は20段位で息を整えています。やはり体調はかなり低下しているようm49-12-23DFN_1102です。

この看板は、始めて意識しました。「神代欅」ではなくて「御嶽神代檜」なのですが、切り株なのですね。つまり、切ってしまったので、説明板に其の名を残したという所かな?

やっと、神殿直下にやってきました。

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この石段は、どちら側を通行するのだったっけ? ブログに書いた事は覚えているのですが、どちらだったかのほうは忘れています。空いているので、適当に上がります。

ゴメンナサイ。少し疲れましたので、ちょっと一休み・・・やはり、病にやられると、ブログも無理になるようですね。

プロフィール

zokubokejii

Author:zokubokejii
木瓜爺とは、呆け爺の仮面! 傘寿を過ぎて物忘れがひどくなり、ブログを外部メモリーに使い始めています。「撮歩」と称し、カメラ片手に散歩、疑問に思った事などを調べることで、頭の体操も兼ねた「健康維持」です。健康の証明に毎日投稿を目指しているのですが、どこまで、続きますかねえ?

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